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何で「はぴテック」をやるのか

~原体験を振り返って~

2018年8月7日

はじめに

最初のブログという事で、人生を振り返りつつ、
何故この事業をやろうと思ったのか、会社を立ち上げたのかについて綴ろうと思います。

これまでの経歴から見ても、見なくても、何でちょっと頭おかしそうな事をやっているのかと、よく問われます笑。でも自分としては、至って普通の考えで今の事業に結びついた思っています。

少し長文ですが、ご容赦下さい。

幼少期~学生時代

詳しくは覚えていないのですが、小学校の頃に見た、「アフリカの子供の命は、300円で助かります。」というACだったかのCMに衝撃を受けました。自分の養育費だけでも数千万かかるという事は、何人分の命を犠牲にして、生きているんだろうと。それだけの価値が自分にあるのだろうかと。

そして思い悩む時期を過ごしていました。ここで普通だったら国際協力とかの本に出会っていれば、そっちの道に入る気もしますが、私が出会ったのは何故か「空手バカ一代」という極真空手の創始者大山先生の自伝マンガ笑。「正義無き力は無能なり」という言葉、大山先生の強さにあこがれて最強を目指して空手を始めました。(力を何故か武力だと思っていました笑。)

そして、2000年の高校時代に、「船木誠勝選手 vs 400戦無敗のヒクソン・グレイシー選手」の試合を見て組技の強さに気づき、柔道部が無かったので立ち上げ、柔道家となりました。結局大学でも体育会の柔道部に入り、卒業まで続けました。

就職前

大学まで、柔道を続けたものの、大して強くはならず、普通に就職活動が始まります。この時期に、幼少期に見たアフリカを一度自分の目で見てみようと、1ヶ月程タンザニアという国をフラフラします。ここではキリマンジャロに登ったり、現地で仲良くなった人の家に泊まったりしていました。

そしてそのアフリカで見たのは、現地の人達の裕福ではないのですが、笑顔に溢れた日常です。元々は1人の命が300円で救える生活水準と思っていたので、勝手に日本よりもハッピーではないと思い込んでいたのですが、その考えが打ち崩されました。幸せって、お金じゃないんじゃないかと。もちろんアフリカの一側面でしかないとは思いますが、大きなショックを受けて帰国しました。

さて、でも就職しなくては。となったタイミングで、世界で一番良くしているのは誰だろう?とい自問自答していました。そこで考えたのは、ビル・ゲイツさんが相当なお金で財団を作っていて、あぁお金があれば世の中を良くする事が出来るんだという事でした。で、ビルゲイツさんと言ったらIT、なのでIT企業に行くことにしました。

社会人

社会人になってからは仕事に打ち込んでいきました。でも、その分、当初の想いはどんどん忘れていきました。仕事ではそれなりに成果も出て、一部上場のITコンサルティング会社で年間MVPにもなったりしました。しかし、数年たってもビル・ゲイツさん感は出てこない。このままではいけないと、働きながら国内の大学院でMBAを学ぶ事にしました。

MBAでは色々な出会いと共に、自分の人生についても再度考える事ができました。そして過去の世の中を良くしたいという想いを思い返しました。そんな時に、イースタリンのパラドクスを知りました。それは、発展しているにもかかわらず、人々の幸福度は落ちているというデータです。そもそも幸せになる為に発展してきているはずなのに、何故幸福度が落ちているのか。ただ発展を目指す世の中で、社会は良くなっていくのだろうかという疑問が頭を離れない日々でした。それはアフリカで見た笑顔溢れる人達との出会いも影響していたように感じます。

そして考えついたのが、幸福度の向上、そしてそれをサポートする仕組み作りを人生でのビジョンとしよう。その為に、これまで学んできた、そして世界を変える大きな力を持つテクノロジーの力を使っていこう。その思いで、ハッピー×テック、はぴテックを創業する事としました。

終わりに

つらつらと書きましたが、要は、「皆幸せになりたい。でも発展しても幸福度が上がっていないんだから、発展を目指すのでなく、ハッピーを直接目指そう。そんな世の中にする為に、ハッピーど真ん中のサービスを作っていこう。」と思ったという事です。自分としてはごく普通の考えだと思うのですが、わりと人とは違うみたいなので、ちょっとそう思うに至る経緯と共に、書き綴ってみました。

使った人がめっちゃハッピーになるサービスをどんどん創っていこうと思っているので、今後ともよろしくお願い致します。